柏崎刈羽原子力発電所から25Kmの村より
天明 伸浩/2012年

原発から25km離れた場所にある新潟の山村からの報告です。高度経済成長によってエネルギーだけではなく人間も都会に吸い取られました。311の原発災害を経た今、私たちは、これまでとは違った、循環型の暮らし暮らを作る必要に迫られています。その時にカギになるのは農山村の資源を生かした暮らし方です。


中内さん親子の食生活
金子 サトシ/2012年

高知県在住、中内郁子さんは、1968年に発覚した、食hん公害、カネミ油症の被害者。郁子さん自身はカネミ油症患者として認定されたが、3年後の1971年に生まれた長男の中内孝一さんは現在も患者として認定されていない。中内さんの家庭では、食べ物には気をつかい、なるべく自然のものを食するようにしていて、自宅で農作物も栽培している。食品公害の被害者だからこそ、食べ物に気を使っている中内さん親子の食生活を取材した。


東ティモールにコーヒー生産者を訪ねて
小池 菜採/2012年

ポルトガルによる植民地支配、日本軍の占領、そしてインドネシアによる軍事併合を経て、2002年に主権を回復、今年独立10周年を迎えた東ティモール。主な産業は農業で、中でもコーヒーは重要な輸出品。ゼロからの国づくりに挑戦しているこの国で、有機のコーヒーを育てる生産者の村を訪ねた記録。


めだか保育園の3・11
相馬 直美/2012年

3・11を境に保育が大きく変わった。生きる源の食材が安心して食べられなくなった。 乳児期は、最も成長する時期なので、出来る限り食材は添加物や農薬が散布されていない食材を選んできた。その主たるお米は、福島県の伊達市の農家から、年契約で買い求めてきた。Sさんの「放射能の検出はされていません。新米が出来たのでお届けします」電話の向こう側に御二人の顔が浮かぶ。しかし、福島のお米を食べさせる勇気が出ない。


畠さんちのりんご
笠原 眞弓/2012年

果物は無農薬で作るのは至難の業。それでも最低の農薬使用で努力している人たちは、たくさんいる。自分で食べるものは、自分で選びたいから、そんな農家から毎年紅玉を求め、ジャムを煮ている。畠さんの果樹園は福島県にある。「あの事件」後、彼らを悩ますのは放射能だけではない。特に獣の害は、放射能二次被害である。私のジャムを守るために(と勝手に思っている)、努力している農家の話である。


あもと農園
小池 光一・順子/2012年

福島の有機農園の、開墾当時からの写真を使い音楽に合わせたスライド形式のものです。映画祭の「こんな世の中、ひっくり返さなあきまへん」というコピーに合わせ、1万Bq/Kgに汚染され活動が停止した農園ですが、少々賑やかな音楽を選びました。これは、福島で農業を行うことを否定するものではありません。高濃度に汚染された一つの農園の話です。


放射能を測る日々
安藤 丈将/2012年

福島県田村郡三春町芹沢地区。美しい桜で有名なこの町にも、原発事故後、放射能が降り注いだ。地域の女性グループは、農作物の販売不振に悩まされる中、野菜や米の放射能を丹念に測定するようになった。「放射能を測る日々」とは、いかなるものなのか。農村の女性たちによる、放射能汚染を生き抜き、未来を切り開く試みを追う。


自給する
岡田 照男/2012年

わたし達はこれまで大半の食糧生産を外国に委ね、農業より工業を優先させて生活をしてきました。「品物をどんどんつくってお金を儲けるやり方※」が絶対という価値観に支配されていたのです。田畑を犠牲にして電力を供給していたフクシマ原子力発電所の事故が問うているのは、こうしたわたし達の価値観の在りようです。自らの食を自らが作る生活「自給」は、この問いへの確かな応えのような気がします。


Welcome ! 食育菜園教室
  〜Yes ! Garden〜
松永 勉/2012年

イェス!ガーデン(@小田原)『食育菜園教室』では、つながり(生き物)、栄養(食べる)、恊働(共に働く)を学習テーマにガーデンの中に自分の居場所を見つけ、食べられるものを育て、収穫し、みなでシェアし味わうガーデンクラスルームを行っています。『食育菜園教室』は、NPO法人子どもと生活文化協会と菜園学習研究室シード&グロウとの恊働で運営しています。